日本の歴史を振り返る~石見銀山編~
(注)奥州平泉ではないですよ。
国内世界遺産探訪の旅2日目は島根県まで足を伸ばして、昨年登録されたばかりの石見銀山を探索しました。10時に広島駅を出発した石見銀山号バス、12時20分に到着しました。(道中、ほとんど爆睡していたので景色わからずzzz)
当初は、到着してからお蕎麦屋さんにでも入って昼食をとろうと思っていたのですが、現地ではガイドさんがついて団体行動になることと、帰りのバスまでに3時間しか余裕がないことなどから、コンビニ弁当を買って車内に乗り込み、中で食べました。
降り立ってみると、そこは江戸時代へタイムスリップしたかのような、都会的な建築物など一切無い、こぢんまりとした城下町と城跡が佇む世界でした。
この石段を挟んで右と左、当時は家々が建ち並ぶ、今で言う住宅街だったそうです。家の土台跡はそのまま残っていました。銀山を守る兵士や労働者が住んでいたのでしょうか。
間歩入り口で貰った案内書にはそう書いてありました。江戸時代の人々は、手作業で何トンもの銀を掘り出し、海外貿易へと勤しんでいたのですね。現代のように、飛行機も車も地図もないのに、日本海への近道を探り出し、生活するための術を身につけ、私たちよりも多大な苦労をしながら生きていたのだろうと感心させられます。そして自分の領土に鉱山が無いためにこの銀山を欲しがった徳川家康。
洞窟の高さは、160センチほどでしょうか、私は身をかがめないと頭ぶつけます。真っ暗なので前の人にぶつかります。さらにシャッター速度が遅くなるので画像もブレまくります。
壁面は触ると冷たく、しっとりと濡れていて、天井からもポタリポタリと滴り落ちてくるのです。これって夜に一人で来たら絶対怖い!!来ることないけど。
それにしても寒いっ!!!温度計は17℃をさしていました。冬も内部の温度はたいして変わらず、せいぜい14℃ぐらいなのだそうです。あー、真夏はここに住みたい。(私は夏が大の苦手なのです)
余談ではありますが、この石見銀山、昨年の6月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた世界遺産委員会でユネスコへの登録が決まったそうですね(byウィキ)。昨年行ったニュージーランド。今年は石見銀山。何か不思議な縁を感じます。
~原爆ドーム編に続く~
by sakura_52617
| 2008-09-04 21:51
| 旅行